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【公式】有田焼・其泉窯・和食器の通販・販売 賞美堂本店オンラインショップ
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其泉と古伊万里

其泉と古伊万里

いつも賞美堂本店をご利用いただきありがとうございます。

賞美堂本店のオリジナルブランド “其泉(きせん)” を代表するシリーズ「琳派古伊万里様式」、「極錦金彩古伊万里様式」。今回は、長く愛され続けているこれら古伊万里シリーズの誕生についての記事です。

 

古伊万里とは

「古伊万里」とは、江戸時代に作られた有田焼のことです。有田焼なのに、なぜ「伊万里」なのか?それは、江戸時代、有田で作られた磁器は、積み出しが伊万里港からなされていたためです。「伊万里(Imari)」は、有田周辺の肥前地区で作られた焼き物の総称とされていました。

また、江戸期の有田焼に見られる代表的なデザイン・スタイルを「古伊万里様式」と呼んでいます。現代の商品にも「古伊万里」と名付けられることがありますが、これらは古陶器ではなく、デザインの特徴を取り入れたものです。

 

旅の始まり

1970年8月、有田の窯業関係者7名による訪問団が羽田空港からヨーロッパへ飛び立ちました。訪問団の目的は、17世紀中ごろから18世紀にかけてオランダの東インド会社の貿易船によってヨーロッパに運ばれた「古伊万里」が、それぞれの地でどう受け入れられ、どんな状態で収蔵されているかを確かめること。そのことを通して「古伊万里」が果たした国際的、経済的な役割を再認識することでした。

この訪問団の中に、賞美堂本店 二代目で、後に其泉ブランドを立ち上げる蒲地昭三(かもち しょうざぶ)がいました。

 

古伊万里の足跡をたどる旅

訪問団は、ソビエト連邦(現在のロシア)、スウェーデン、デンマーク、オランダといった国々を巡り、古伊万里の足跡をたどりました。そして旅の最大の目的地である東ドイツを訪れました。東ドイツのドレスデンには4000点もの古伊万里コレクションがあり、訪問団はそのコレクションを一目見るため、当時国交のなかった東ドイツを訪問したのです。

東西冷戦時代、日本と国交のない東ドイツへの訪問を実現することは非常に困難なことでしたが、各方面への必死の働きかけが実を結び、文化交流使節という名目でどうにか東ドイツ訪問が実現したのでした。

蒲地昭三の取り組み

蒲地昭三はこの東ドイツ訪問をきっかけに、1975年に開催された「古伊万里名品里帰り展」の実現にも深く関わります。これらの活動を通じ、昭三は古伊万里の美しさが時代や国を超えて愛されることを確信しました。そして、その古伊万里の様式美を現代の食卓に甦らせるという強い信念を持ち、其泉ブランドの代名詞となる「琳派古伊万里様式」や「極錦金彩古伊万里様式」シリーズをはじめ、数々の古伊万里様式の器を開発するに至ったのです。

琳派 古伊万里様式

琳派古伊万里様式

極錦 金彩 古伊万里様式

 極錦金彩古伊万里様式

 

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